深谷の素顔

深谷は始祖 藤原鎌足以来 千数百年に亘り全ての時代の政権に入り国にご奉仕して来た家の者です。
苗字を上杉、深谷と改姓してきました。

645年、大化の改新を成した藤原鎌足(44代前の父)

上杉重房(藤原重房 鎌倉将軍に仕う
26代前の父
)の座像

名月院所有・鎌倉の国宝館所蔵

深谷城主陸奥守憲英(22代前の父)の墓
埼玉県の指定文化財(深谷市に有り)

私の7代前の親父 大目付の盛房は 幕府のご意見番であり、孫のように若い阿部老中に
ベリーには穏便に行くよう ご意見し、日米和親条約が結ばれました。日米和親条約の立役者は大目付の深谷です。

 

*下記は 私の7人(代)前の父、深谷盛房の事。

 

NHK 大河ドラマ 篤姫の一場面
ペリー来航(1853年)により 国防を議す

深谷 盛房(1767年生まれ)

 

京都町奉行-64才~69才
勘 定奉行 - 70才~74才
大 目 付 - 77才~87才

左-深谷盛房(86才、大目付 兼 海防掛)、
    中央-徳川斉昭(53才)
                     右-老中・阿部正弘(34才)

篤姫と その教育係、幾島

一戦を交えてでも 「外国船を打ち払うべし」との攘夷を唱える水戸の斉昭に対し、大目付深谷盛房は、
孫のように若い阿部老中にベリーには穏便に済ませるようご意見しました。
日米和親条約(1854年3月)の締結を見届けた後、高齢にて永眠す(87才)
徳川斉昭60才、老中 阿部正弘38才で永眠。

 

*あの天下のご意見番 大久保彦左衛門(1560-1639年)は、79才の生涯でした。

 

今 自民党のご意見番は 深谷隆司(郵政・自治・通産大臣)であり、一族で応援したものでした。
よって 今 小生は「患者を救い国を救う」を野島先生と やっております。
即ち、病人を減らして 医療費を下げて、国民の税の負担を減らすことを目指しています。
尚、深谷は 中央省庁に誤りがあれば、「詫び状を以て 対処して頂ける者」です。
その書面をご覧になりたい方は メールください、アドレスを案内します。
但し、どこのどなたかハッキリした場合に限ります。

左は 野島尚武氏、上尾診療所にて。(2001年頃)

深谷はネット販売している代理店の中では 一番早くからの販売店です。

若かりし頃の深谷(各テレビ局から取材を受けた時 ・
お茶の間の皆様方に ご挨拶)

TBSのテレポート6、お天気マンの森田氏と。

日本テレビのザ・サンデー
キャスターの中村敦夫氏と

テレビ朝日のトゥナイト
(ニュースキャスターの雪野さんと)

小生のお袋は 元気な104歳で、滅多に医者にかかりません。
大目付 深谷遠江守盛房は家康のように薬研でミネラル摂取していたと伝わっております。
平城天皇の勅命で編纂された大同類聚方と云う医学の書物には
ある種のミネラル(鉱物)が ガン等の薬であることが記されている事なのです。

 

 

 

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