薬研

ある種のミネラルが病気を予防していた証拠としては 古代の昔から薬草と言う物があった事を考えれば 納得できることです。
家康が長生きする為に薬研を使って薬草を粉にして飲んでいたが 薬草には ミネラルが含まれているから長命で 居られたのです。
長命と云う事は 大病をせず、ガン細胞も自分の免疫力で排除出来ていたと言うことです。
ガンにかかりずらくすると言う冬虫夏草(虫草)や、まいたけのような茸、朝鮮人参は、地面からミネラルを吸収する力が強い為に他の植物より
豊富に微量ミネラル(マグネシウム、バナジウム等、微量だが必要なミネラル)が含まれています。
ご存知のように植物はどこかに飛んでいって効き目のある物質をあさってくるのではなく地中から必要な成分を吸い上げて成長します。
豊富なミネラルを吸い上げた植物だけが 昔から薬草と呼ばれているのです。

 

私 深谷の7代前の父 盛房は、77才の時、阿部老中(25才)に請われて 大目付に就任しました。その9年後にペリーが来航しました。
当時の寿命からすれば とても幕府のご意見番など 考えられない年です。
家康公のように、「薬草の根を粉にして 水に溶かして飲んだ」と伝わっています。
ペリーが来た頃は 盛房の足腰は 弱っていたので 「江戸城で寝泊りして、大役を果たした」とも伝わっております。
アメリカとの最初の条約である日米和親条約が結ばれた年に 87才で他界しました。
この時は 無勅許のまま、条約は結ばれ、その後 朝廷に通知して 終わりました。
しかし、大目付 深谷遠江守 及び阿部老中(38才)がなくなった後の 日米修好通商条約の時は 大老 井伊直弼は 無勅許を朝廷等から責められました。
これは 14代将軍をめぐって 大老 井伊直弼は 紀州徳川家の徳川慶福(後の将軍 徳川家茂)を推したのに対し、副将軍格の水戸家の徳川斉昭は
自分の息子である慶喜を将軍にしようとして対立していた事によります。
この対立によって、朝廷に人脈のある斉昭(生母は 公卿 烏丸資補の娘 補子、 正室は 有栖川宮織仁の娘 吉子女王、実姉 清子は 鷹司政通の正室)は
条約には 勅許が必要と主張して 「勅許論争」を巻き起こしました。
幕府は 身内の紛争によって 瓦解していったのです。尚、最後の将軍 慶喜の母は 吉子女王です。ここからも大政奉還の道筋が見えてきます。
尚、家康が60才で亡くなっていれば関が原の戦いはなく、江戸時代も無かったかもしれません。

 

さて、話は元に戻って、ミネラルを豊富に含んだ野草が薬草と呼ばれている事は 皆様方のご存知の通りの事です。
植物は 根酸と云う酸を根から出して岩や石を溶かして ミネラルを吸い上げます。しかし、アロエ、朝鮮人参、茸、薬草類、海藻類は
自分の成長に必要なだけの量のミネラルしか吸い上げません。ガンのような難病を治すには 力不足です。
遺伝子ミネラルには、カリウム等の通常のミネラルの他にマグネシウム、バナジウム、セレン、亜鉛、ゲルマニゥム等、20種類以上のミネラルが含まれています。

 

平安時代に書かれた大同類聚方と云う医学の書物には ミネラルが癰(ガンの事)や 天然痘や つつが虫病、チフス等の様々な病気の薬である事が書かれています。 

 

 

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